大人になるのを恐れていた子供時代への郷愁
世間で評判になっているようなので気になって5月26日のニコニコ動画で一気観してみたのだが、正直、どこが面白いのか大人の私にはさっぱりわからなかった。
子供向けアニメとして見れば可もなく不可もなく、何の変哲も無い作品のように思われる。
しかし世間では大人を含むファンから絶大な支持を集めているようなので、私なりに分析してみることにした。
まず気になったのはその世界観と舞台設定である。
- 人間がいなくなった世界
- フレンズと呼ばれる獣(けもの)達は「ボス」と呼ばれる管理ロボットから「ジャパリまん」という食料(餌)を支給されているので、自ら狩りをする必要が無い。ボスからフレンズに話しかけることは無い。
- フレンズ達は、元々は野生の動物であったが、サンドスターという超自然的な力によってフレンズ化された。元の野生動物がオスであってもフレンズ化すると擬人化された女性になる。
- フレンズはセルリアンという敵に食べられると元の野生動物に戻ってしまう。
制作者が意図しているのかどうかはわからないが、これはあからさまな暗喩であり、ボス=親、フレンズ=自立していない子供、セルリアン=大人社会 なのだ。
野生動物の生態と聞いて思いつくのは何だろうか。私が思いつくのは、自分で餌を採取し、カップルを作って子作りして育てるということだ。
この当たり前の野生動物の行動原理がフレンズからはバッサリと切り捨てられている。
食事は親から与えられる。メスしかいないので必然的に恋愛も子育ても存在しない世界。
(同性愛についてはここでは無視しよう。)
しかも親は子供に全然口出しせず、黙々と養ってくれるだけの存在だ。ニートにとっては理想の親ではないだろうか。
そしてフレンズ達を襲う得体の知れないセルリアン。子供から見た大人社会のイメージだ。
永遠に子供のままでいたいのに、無理矢理、大人にさせようとしてくる(非フレンズ化)。これは子供やニートにとってはさぞ恐ろしい存在だろう。
皆がフレンズ化した状態でジャパリパークにいる限り、そこは草食動物も肉食動物も関係なく、弱肉強食の競争原理も格差も無い「仲良しこよし」の楽園を享受できるのに。
大人にさせられたら、自分で食い扶持を稼ぎ、恋人を見つけ、肉食系が草食系を食いものにする、そんな競争社会に放り込まれてしまう。なんという恐怖だろうか。
この作品を支持している大人たちがニートというわけでは無いのだろうが、競争社会や格差社会に疲れかけた大人が「仲良しこよし」だった子供の頃を無意識のうちに懐かしんで観ているのではないだろうか?
上記の解釈に基づくなら、物語のラストシーンで主人公のかばんちゃんと親友のサーバルちゃんの二人が取る行動が何を意味しているのかも自ずと答えが出るだろう。
以上、私なりの分析をしてみたが、もちろん当然、それだけで人気が出たわけではなく、魅力的なキャラクターや声優陣の演技、音楽が人々の心を引きつけた部分も大きかっただろう。
他に思ったこととしては、作中に出てくるアイドルのライブは構造が単純化されすぎて幼稚園の遊戯会そのままであり、
喫茶店を営むフレンズの行動原理も、子供のママゴトそのままだという印象なので(お金のやりとりや経営に関する概念が抜けているのだから)、
完全に幼児の視点で描かれた世界観だということに気がつく。
もし他のアニメ作品であれば、例えそれが子供向け作品だったとしても「お客さんが来ないから今日も赤字ね」「このままだと店じまいするしかないわ」といった台詞の1つや2つくらいはあることだろう。
他にも物理法則的に変な場面があったりとか、突っ込みたくなる箇所が多々あるものの、全体としては最初に書いたとおり、永遠に子供のままでいたかった大人の郷愁を無意識のうちに誘う作品なのではなかろうか。
データ
原作:
けものフレンズプロジェクト
コンセプトデザイン:
吉崎観音
監督:
たつき
シリーズ構成/脚本:
たつき
音響監督:
阿部信行
作画監督:
伊佐佳久
美術監督:
白水優子
音楽:
立山秋航
アニメーション制作:
ヤオヨロズ